藤圭子 生い立ち 空港で4,900万円没収された壮絶秘話 [芸能]
歌手の宇多田ヒカルさんの母親で、歌手の藤圭子さん(62)が
2013年8月22日、東京都新宿区のマンションの前で倒れているところを発見され、
病院に搬送後、死亡が確認されました。
原因はマンションの屋上から転落死によるもので、
身投げしたものと思われます。
藤圭子さん、(本名 阿部純子)は1960年~1970年にかけ、
自身の歌が大ヒットし、脚光を浴びた演歌歌手です。
生い立ち
幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)、
三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)の門付に同行。
回りの生活を送り、自らも歌った。
勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。
17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、
上京。歌手デビューする。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
1970年 「圭子の夢は夜ひらく」が10週連続1位の大ヒット (曲名がハイセンスすぎる)
1971年 前川清さんと結婚
1972年 前川清さんと離婚 (いわゆるスピード離婚ですね)
1979年 引退を表明し、アメリカに渡米 (宇多田ヒカルがこの人の娘の理由が分かる気がする)
1981年 藤圭似子の名義で再び芸能界に復帰
1982年 宇多田照實(てるざね)と結婚
1983年 長女の光(宇多田ヒカル)を出産
1984年 芸名を藤圭子に戻す
1993年 夫・照實とともに有限会社ユースリー・ミュージックを資本金300万円で東京都杉並区に設立し、自らも取締役になる。
1995年 夫・照實と娘・光の3人でユニット「U3」を結成し、インディーズでレコードを発売。
2006年 ニューヨークのジョンFケネディ国際空港にて大金を没収される
2007年 夫、宇多田照實と離婚
2009年 ニューヨークで没収された大金の全額返還が決定
2013年 没
上記年表の中で2006年に国際空港で大金を没収されたとのことで、
これについて詳しく調べてみました。
2006年にニューヨークのJFK国際空港にて米国司法省麻薬取締局により多額の現金を没収された。
内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000カナダドル、5000オーストラリアドル(計約4900万円)であった。
(機内に持ち込める現金やトラベラーズチェックは100万日本円や10,000米ドルまで)。
麻薬犬による検査で、現金からは微量の規制薬物が検出される。
米国司法省麻薬取締局は、現金が麻薬取引のためにすでに使われたか、
あるいは使われる意図があったと結論付け、全額を没収した。
藤圭子さん側の釈明
事件が明かになった直後のインタビューでは次のように答えました。
「ニューヨークの金庫に保管していたものに、ギャンブルで勝った金を加えた。
違法な現金ではない。ラスベガスのボランティア団体に寄付するつもりだった」と説明し、
全額返還を求めた。また、麻薬への関与は一切ないと説明した
2006年10月22日放送『スタ☆メン』(フジテレビ系)にインタビュー出演し、
「この5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅している。
ファーストクラスのチケット代、(各国の高級)ホテル宿泊代などで、5年間で5億円は使った」
「カジノでは、現金所持が当たり前」
「アメリカはカード社会や小切手社会といわれているが、現金が主流である」
と主張した。また、麻薬探知犬が反応したことに関しては「麻薬とは一切関係がない」と否定した
2009年1月、米側は差し押さえを根拠付ける証拠を出せず、
27日にニューヨークの連邦地裁で返還を命じる決定が出たとして、
没収された現金42万ドルは藤に全額返還された
歌でヒットを飛ばしただけあって、所持金の額もかなり大きく、
ギャンブルも好きだったみたいですね。
それでも没収された大金の使い道は寄付するつもりだったとのことですから、
本当に貯蓄のほんの一部に過ぎなかったのかもしれません。
そんなにお金があっても最後は身投げとは・・・
世知辛い世の中です・・・
ご冥福をお祈りします。
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